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はい、8回目です。多分、最終回(爆)
長くなると思いますのでご覚悟をw

そして、初めていらした方は、ここから読み始めても色々と「??」となると思うんで、その1から順にご覧くださいませ。

そして、毎回つけることにしました恒例の注意書きー。

※内容は世間一般的には「不幸」とカテゴライズされるものです。相当ポジティブな方向で書く予定ですが、事実はネガティブなので、そういうのを読みたくないという方はまわれ右で。

※上記に付随しますが、妊婦さんまたは妊娠を望む方、心ならずも妊娠途中終了経験のある方は、上記から察して読むかどうかを自己責任で決めてください。

※夫婦に関わる話なので、色々と生々しい部分も出てきます。苦手な方はまわれ右で。

※読んだ後、個々がどういう感想をもつかは自由ですが、せめて最後まできちんと読んでから私にモノ申すかは決めてください; 

以上のことをご理解の上、「つづきはこちら」からどうぞ!

拍手[12回]


さて、今回は総まとめ的なことを書くと言いました。
もしかすると、これが本編です(爆)
正直、こういうセンシティブなことは、書くかどうか迷いました。
プライベートダダ漏れだしねw
何より、今までを全部読んで下さった方にはわかると思うのですが、「流産」に対しての感覚が世間さまからみたら

私ら夫婦がおかしいし。


…自覚ありますよ;
流産確定直後から、こんな元気なのもないでしょうよ、そりゃ;

流産は、もちろんとても悲しいことです。
悲しみに暮れる方がほとんどでしょう。
当然、それを否定するものではありません。

ヘコまなかった、と言えばウソになります。
私ら夫婦とて、心拍確認して、動くところを確認していたら、また違う感覚でいたかもしれません。
そういう意味では、心拍も確認できないまま流れたのはラッキーだった、と言えるのかもしれません。
比較的あっさりと、「ああ、赤子もまだ産まれる気はなかったんだ」と受け入れることができましたから。

ただね。
数年前まで、仕事もプライベートもストレスしかない生活をずーーっと続けていたせいか、今ストレスが大分ない生活をしてる中で、私はもう自分がグズグズと沈み切ったままでいることが心から嫌になったんですよ。

ものすごく理性的なことを言ってしまえば。
ダメなものはダメ。
どう頑張ろうと、最初からダメでどうしようもないと医学的にはっきりしてる。
だったら、いつまでも自分を無意味に責めても、体に悪いだけではないのかと。
次にまた妊娠したくても、体の回復が遅れるだけではないのかと。
そう思うわけです。

妊娠・出産に関しては、個人差がものすごく激しいです。
誰それがどうだったからといって、自分にぴったり当てはまるとは限りません。
情報サイトなどを巡っても、十人十色です。
そんな中で、

妊娠できる体なのがわかった。
子宮関連の病気は一切ないことがわかった。
着床後に起こる病気がないのもわかった。
軽くても、つわりの状態がどんな感じかわかった。
痛みの程度は違っても、陣痛がどんな感じなのかわかった。
そして、流産後の体の回復が、平均的だった。
(流産した翌日を1日目として、32日目に生理が無事来ました。基礎体温でも、ガタガタではあるけど、ちゃんと二層に分かれてます。ホルモンは働いてるようです。また、いつもの生理と違って、初日から3日間ずっと2日目のような量でしたが、3日間でほぼ終わるという不思議現象も;)

体に関することだけでも、これだけのことを身を持って理解することができ、不安も解消され、また次に備えることができると言えるわけです。

それだけではなく、数々のラッキーがあったと思っています。
子宮内除去手術――掻爬手術と言うらしいですが――、これは麻酔はもちろん器具を子宮内に入れて掻き出すわけで、リスクがないわけがありません。
色々な経験談を読むと、稽留流産では掻爬手術を行うのが一般的なようですが、私のかかった病院では、すぐには確定させず、間を空けて診察してからとなっていたため、その間に完全流産することができて、リスクを最大限に回避できたと思っています。
(現在では、自然流産を待った方が母体に負担が少なく、回復が早いとも言われているそうです。ちなみに、出血後の処置でも、T医師に「手術はリスクがあるので、今回は完全に出てますし、残りは自然に出るのを待つ方がいい」と言われています。)

また、大量出血したのが平日昼間ならば、私は一人でそれに耐えて病院にかかることになっていたでしょうが、ちょうど旦那も休みの土曜日になり、本来なら不安をまだ残す翌日も、一日旦那と寄り添って精神的に安定することができたのです。

そして、私の仕事もちょうど閑散期にあたり、体にも心にも負担をあまりかけないで済みました。
(コミケも落ちたから、〆切りに終われる必要なかったしね…w)

私は、世の中の事象に無駄なことは何一つないと思っています。
その時はわからなくても、何かしら意味のあることだと。
ならば、赤子は流産すると分かっていながら、私たち夫婦に何かを教えるために来たのではないか―――

そんな厨二的なことを考えますとw

私たち夫婦はとても恵まれていました。
特に私は恵まれています。
旦那の両親は、心の底からいい人達です。
私の友人も、いい人ばかりです。
旦那もちょうど再就職して、仕事では色々とありますが、職場としてはうまくやっていける自信が出てきたようです。
毎日残業で彼の体が心配ですが、そのおかげで貯金することが容易になりました。
そして、どんなに早くても、今後赤子が生まれるのは1年は先ですから。貯金も充分にできます。


流産が必然だったとするならば。

つわりが軽かったのも「お試し」だからで

妊娠がどういう経過をたどるのかを教えてくれて

出血時――ある意味赤子が生まれた時ですが――が土曜だったのも
用意されたアフターフォロー

流産にまつわることを全て残念と捉えるには、あまりにも他の人間関係に恵まれていて

何も知らず、わからなかった私たちに勉強と覚悟の機会をくれて

経済的猶予もくれた

…というように思えてきます。
だとするならば。

私たちが悲しむのは、むしろ赤子に失礼な気もするのです。


実は、完全流産後、しばらくしてから妙な感覚にとらわれました。
私は心の底から今回のことは納得していて、悲しむ気持ちはゼロに近い状態なのは確かなのに、なぜか心のどこかで
「ほら、赤ん坊がいるぞ。見るのは辛かろう?悲しむべきだ」
と、悲しむことを強要しようとする自分がいるのです。
またあるいは
「流産したのは、お前が高齢で卵子が劣化したからじゃないのか」
とか。

まるで、辛くなっていなければならないかのように。

世の中赤ん坊なぞ、どこにでもいるし、TV見てたってCMでも山ほど見るわけで、正直そんなのにいちいち反応してたらやってられません。
ネットもねぇ。履歴からそこに合わせた広告が出るので、妊娠・出産関係のものを調べまくっていたために、しばらくその手の広告出まくってたし。
それが見たくなければ、ひきこもるしかないでしょう。

35才を過ぎたら卵子は劣化するという話は、もちろんあります。最近の研究結果で出たとか。
しかし、私は母が40歳の時に産まれており、かつ彼女はカフェインもタバコもやめられておりません(爆)(まあタバコのおかげで低体重で生まれて喘息持ちだけどもさ(爆))
それだけが原因なら、今いる私はなんなのよ、とw
年が若くてぴちぴちでも、残念ながら流産してしまう方はいるわけだし、逆にうちの母のような高齢出産もあるわけで、一概に卵子のみのせいとは言い切れないはずです。
(今は、残りの卵子数を調べる検査もあるそうですが、シュレディンガーの猫じゃないけど、それこそ調べ(て絶望的数値でも出)ない限りは希望があるんじゃないでしょうか)

そういった理屈も感情は納得してるのに、そういうわけのわからん感情に苛まれることがありました。
どこから来るのかなー、と思ってたんですが。
ちょうどまあ、これを書こうか悩んでた頃なんですよね。
で、流産したのにあまりにも元気すぎて、しかも実は悲しむ人の気持ちがよくわからない(理屈ではわかるんですが、感覚として)状態だったので、旦那に
「悲しむ人の気持ちを理解しようとしてるんじゃない?」
と言われて、ああ、そうか!と納得しました;
いや、自分はこうだったから、とおしつけの意見にするには、あまりにデリケートな話ですからね;
同じように流産して悲しむ方の気持ちを理解しつつ、言葉を選ばなければ、無駄に傷つけることを書く可能性がありますから;;
(それでも、言葉で言いたいことが伝わるかの不安は限りないですが)

人間、理不尽な出来事には、理由をつけたがります。
特に日本人は、自分に原因を探そうとします。
そうして、自分を必要以上に責めてしまうのです。
しかし、それでは次につなぐまでのインターバルが長く必要になってしまいます。
あるいは、焦って子宮が回復しきらないまま再び妊娠し、また流産してしまう危険もはらんでいます。

私のこれまでの書き方では、「命を軽く考えているのでは」と思われる方もいるかと思います。
が、そうではありません。
軽くないからこそ、体の回復を早めるために、そして安定させるために、まず心を安定させる必要があるのです。
流産した子が早く戻れるように。

元気になるための過程として、悲しい感情があふれるのなら、とことん悲しむのも手です。
それはメンタルケアのひとつですから。
私の場合は、少しずつゆっくり、早い段階からそういう感情を昇華していけたからこそ、稽留流産後にすぐ立ち直れたのです。


今回、これを書くことに決めたのは、世の中流産したママたちが、いかに自責の念にかられ、そして悲しんでいることか! と思ったからです。
それらはきっと、(妊婦本人も含み)妊娠に関しての知識がきちんと浸透してないことと、病人並みの体調不良や不安が常に付きまとうくせに、病気ではないからと放り投げられるような感覚にとらわれるからではないかと思います。

そして、全ては母体で育まれ、母体で起きることですから。

今ではそこまでではなくとも、やはり全てを母親のせいと決めつけてくる人も少なからずいます。
それを知ってるだけに、先んじて自分を責めてしまうのではないか―――
そう思います。

そして、流産の話はなぜかタブー視されている空気感があります。

亡くなった人の思い出話はするのに、なぜ産まれてない子の思い出話はしちゃいけないの?
悲しかったことしか語ってはいけないの?
それにまつわる、色々と面白いなと感じたことを語ってはいけないの?
それを面白おかしく話してはいけないの?

そんな気持ちもあります。

私はそれらのことに、疑問を呈したかったんです。


正直、ある程度は「妊婦特権」がないと、ほんと辛いと思います。アレは。
肉体的にもそうですが、精神的にも、ネガティブに考え出すとキリがないので。
まあそこに甘えて、特権振りかざすのはどうかとは思いますけども。

そして流産の話について。
話したくない人が無理に話さなくてもいいけど、話したいと思う人が思うように話しても許されるぐらいの許容はあってもいいんじゃないかと思います。

だってさ、タブーだからって流産したことも誰にも言わない、言えない、ってさ。
確かに赤子が腹に居たんだということ自体が“ないこと”になっちゃうじゃないですか。
それは本当に赤子のためなの?供養にもならないんじゃないの?
大体、プレ両親が言わなくて、誰が話せるの?
私が出した疑問(なぜ思い出話ししてはいけない?とか)に、明確に、かつ論点ずれずに反論出来る人いるの?

それに経験したからこそ、言える「冗談」もあるし。
(私ら夫婦は、「今回はお試し版クリアで、次が正規版だね。しかも高額だから、発売(妊娠・出産)までに金溜めときなーっていうww さらに産まれたら月々の利用料(養育費)の支払いww」とか言ってます)

このくらいの冗談くらい言えなきゃ、やってられんよ?ギスギスして。
そして、そういう冗談くらい、許容できる社会であることも必要だと思います。


流産経験者の方や、これから妊娠を望む方が、ここまでの長い文章をどれほど読んで下さるかはわかりません。
しかし、もしこれを読んで、何かひとつでも、ほんの少しでも心に何かいい方向で;残る事があれば幸いです。

本1冊分くらいになりそうな、これまでの長い長い文章。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
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