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さて、先日「諸般の事情」ってやつを書くと宣言しましたので、これから書こうと思います。
何回か連載になるやもしれません。
そして、いくつかの注意点がございます。
※内容は世間一般的には「不幸」とカテゴライズされるものです。相当ポジティブな方向で書く予定ですが、事実はネガティブなので、そういうのを読みたくないという方はまわれ右で。
※上記に付随しますが、妊婦さんまたは妊娠を望む方、心ならずも妊娠途中終了経験のある方は、上記から察して読むかどうかを自己責任で決めてください。
※夫婦に関わる話なので、色々と生々しい部分も出てきます。苦手な方はまわれ右で。
※読んだ後、個々がどういう感想をもつかは自由ですが、せめて最後まで読んでから私にモノ申すかは決めてください; 話半ばで「これからそこは話すところだよ」と思うコメントが付いた時は、書ききるまでは一旦スル―しますのでご了承ください。
以上のことをご理解頂いた上で、それでもご興味のある方は「つづきはこちら」をどうぞ。
何回か連載になるやもしれません。
そして、いくつかの注意点がございます。
※内容は世間一般的には「不幸」とカテゴライズされるものです。相当ポジティブな方向で書く予定ですが、事実はネガティブなので、そういうのを読みたくないという方はまわれ右で。
※上記に付随しますが、妊婦さんまたは妊娠を望む方、心ならずも妊娠途中終了経験のある方は、上記から察して読むかどうかを自己責任で決めてください。
※夫婦に関わる話なので、色々と生々しい部分も出てきます。苦手な方はまわれ右で。
※読んだ後、個々がどういう感想をもつかは自由ですが、せめて最後まで読んでから私にモノ申すかは決めてください; 話半ばで「これからそこは話すところだよ」と思うコメントが付いた時は、書ききるまでは一旦スル―しますのでご了承ください。
以上のことをご理解頂いた上で、それでもご興味のある方は「つづきはこちら」をどうぞ。
さて。大体、注意書きで予測ついてるんじゃないかなー、とは思いますが。
私、3月に結婚して5月に妊娠して7月に流産しました。
1行で済ますと、ぐっと重い話ですよね;;
ですが、私も旦那も、世間で思われてるほどにはネガティブに捉えておらず、むしろ勉強させてもらったとか、色々と得るものも多かった経験だと認識しています。
妊娠て、してみないと何も情報得に行かないじゃないですかー。
しかも、個々でそれぞれ違うものなので、してみないとほんと分からないことも山ほど。
今回は、そういったことを含めて、私が何をどう捉え、感じてきたのかをお話ししたいと思います。
まずは、5月から7月までの経緯からざっくりお話しましょう。
5月10日…最終月経
5月半ば頃…旦那が再就職。同時に私の仕事も繁忙期に入る。
5月末頃…胃腸風邪を旦那からもらい、常に吐き気が。
これにより、職場の短期パートのおばちゃんに、「妊娠したんじゃないの!?+(0゚・∀・) + +」とwktkされる;
…が、主治医にみてもらったところ、まぎれもなく風邪との診断。
6月初旬…26日周期の生理が来ない。が、まだ許容範囲(昨年末に28~29日で来たことがある…)のため、静観。短期パートのおばちゃんが、またしてもwktkするw
6月初旬~中旬…仕事の繁忙期終盤になっても生理が来ない。これはいよいよアレか!?ってことで、繁忙期が終わってから検査薬で確認することにする。
6月16日頃…生理予定日から2週間経ってからが確実、と説明書きにあるも、待てずに検査薬使用。ぱっちり陽性反応。
6月18日…私はアレルギーと喘息の持病があり、それだけですでに妊娠リスクがあるので、まず主治医に相談。(ちなみに高齢出産にもなるんで、リスクが2つ…)
即効、飲んでた薬が使用禁止になる。喘息の薬は吸入タイプのものに変更。そして抗アレルギー剤が使えないので、この日から全身のかゆみに悩まされることに…。
そして、病院を紹介してもらおうと思ったんだが、「どこにするか決めて来い」と言われる;
ぶっちゃけ、喘息リスクがあるとどこがいいのかわからんかったんだが、医療センター系がいいというアドバイスをもらい、帰ってからネットで調べて検討。
3次救急受入れしている病院がいい、まではわかったが、妊娠は全額自己負担の上、自由診療で病院によって金額の差があるので、交通の便も含めて、某国立医療センターと某大学病院に絞り込む。
ぶっちゃけ、費用に不安があったので、ちょっとでも安く済むだろう国立医療センターに決める。
6月21日…再び主治医を訪れ、国立医療センターへの紹介状をもらう。「某大学病院と迷ったんですけどー」と言ったら、「某大は他科との連携悪いんだよねー」と言われる;;
言ってよ…先に…。
6月22日…医療センター婦人科初診。胎嚢確認。正常妊娠。週数は教えてもらえず。
最終月経から数えると6週だが、排卵日のズレで週数が変わるそうなので、そのせいか?と思っていた。
診察料7000円…!!自費。
ここまでの間に、初たまやら妊すぐやらを読んでいて、「確認できたらすぐ母子手帳を取りに行きましょう」とあったので、診察後その足で母子手帳を貰いに行く。
…が、フライングだったもよう;;
母子手帳は心拍確認してからもらいに行くものだったようだ…。
とはいえ、結局はもらえた。
この頃からすでにつわりが。といっても、胃腸風邪から引き続きの吐き気だったので、つわりかどうかわからない(爆)風邪でなくても、普段から胃が弱くて寝起きに気持ち悪いとかはいつものことだったし。まあ、それくらい軽かった。動けなくなることもなかったし、ごはんがっつり食べれたしw
一瞬だけ、車酔いのような気持ち悪さがあったが、若干で終わった。
ただ、匂いに敏感になった。いわゆる炊き立てご飯の匂いはダメとかよく聞くが、それはなかった。大体は、もともと嫌いな肉の匂いとか、生ごみの臭いがキツかった。
あと、旦那以外の男性の臭いも辛かったなあ。
親がタバコを吸うんだが、タバコの臭いも日増しにダメになった。ので、家庭内喫煙所を設ける。(けど、玄関入ったとたんに分かるのよね…)
7月6日…二度目の検診。胎芽確認。「ちゃんと2週間分育ってますねー」と言われるが、心拍確認できず。週数教えてもらえず。子宮がん検査もする。
診察料9000円超。自費。
計算上、8週のはずで、例え排卵日がずれてたとしても、実は夫婦関係上1週間がせいぜいだった(このあたりは後述)。
この時から、私の中でもともとあった疑念が膨らんできた。
そして、次の検診までに、体調が変化し始める。(大体2回目の検診から1週間後くらいから)
つわりがないに等しい日が増える。
張っていた乳房の張りが弱くなる。
よく聞く「やたらと眠い」が全くない。むしろ徹夜OK(爆)
増加傾向だった体重がいきなり1.5kgも減った。
この頃、あまりに妊娠症状が軽いので、「ちゃんと育ってるのか!?」「存在感ない子だな!」と常々口にする。
ぶっちゃけ、どう考えても心拍が確認できるはずの時期にできてないので、このあたりから私は大分腹をくくっていた。
7月23日…3回目の検診。胎嚢は大きくなっているが、胎芽が全く確認できず。下の方にちょろっと見えてる「何か」がそれっぽい。
覚悟はしていたが、さすがに目の当たりにすると表情は固くなっていた。
医師から「1回のこれだけで流産と診断するのもアレなんでね。もう1回診てみてからにしましょう」と言われ、1週間後に予約。
この時、せっかくもらってきたんだから、と補助券を使って、尿検査と血液検査をする。
診察料は補助8000円分使って支払いは6000円くらい。がふぅ。
ちなみに、補助券に書かれた週数では11週だった。
診察後、病院の食堂で昼食。若干迷ったが、旦那もちょうど昼休み中なのでメールで報告する。
…すぐ電話かかってきた; が、席から動けなかったんで、2~3分で切る。
6月から、帰宅が22時頃になっていた旦那だが、さすがにこの日は20時に帰ってきた。
そして、色々な雑誌やらネットの情報やら見るに、これは稽留流産と思われた。
もしかしたら、入院して子宮内除去手術を受けることになるかもしれん、という問題が持ち上がった。
日帰りやら1泊やら、いろいろ情報があるので、どちらになるかはわからなかったが、そうなったら付き添いはどうしよう、という話に。
実母がいるが、実母は大分年食ってるので、どっちが付添かわからない状態になるので除外。
果して平日に入院となった時、旦那が来れるかどうか…土日にできないだろうか、と色々と悩む。
旦那はどうやら、会社側に「もしかしたら平日に休みをもらうかも」と打診していたようだ。
その後、何の体調変化もなく日々は過ぎた。
ちなみに、経過が経過なので、義両親にはまだ妊娠を知らせてなかった。
7月27日…夕方、舅から電話が入る。出張で上京するので、ご飯を食べないか、というお誘い。
翌週月・木なら大丈夫だというのだが、入院かもと思うと約束ができない。
なので、「旦那君が帰ってきて相談しないと、来週の予定がわからない」と言って一旦保留。
その夜、旦那が21時頃帰宅。その直後くらいに、生理が終わる直前くらいの出血を確認。
下腹部痛も始まった。
すでに、敗者復活も考えられないエコー映像だったので、進行流産ではないかと自己判断。
そうじゃなくても、数々の情報から、とかく安静にして寝てるしかないので、病院への連絡は翌朝にして、とりあえず寝る。
7月28日…早朝5時半頃、強い腹痛で目が覚める。が、じっとして耐えているうちに眠ってしまった(爆)
8時頃起床。腹痛は治まったが、一応病院に電話する。
「(治まったのなら)とにかく安静にして様子みててください。そのまま治まるようなら受診は予定通りで」とのことなので、何もしない宣言をしてだらだら過ごす。
昼過ぎ、下腹部痛があるので寝てたのだが、旦那に時々腰をさすってもらう。ポイントがハマると楽になる。が、そのポイントがちょいちょい移動する;
日中、旦那が舅にメール。事態が事態なのでまだ話せず、「忙しくて無理」と濁してごはんは断る。
夕方頃から、下腹部痛が激しくなってくる。4~5分に1回激しく痛み、数10秒~1分くらいで楽になる、の繰り返し。まるで陣痛。
出血も増えたので、再び病院に電話する。医師曰く
「今、来てもらっても、自宅同様ベッドで安静にしててもらうしかない。生理2日目くらいの大量出血したらすぐ連絡ください」
ということなので、様子見。
その後、旦那が舅に電話で流産を告げる。
20時ごろ、下腹部痛がピーク。2~3分間隔。出血も大量。何かカタマリもナプキンに付着している。なので、再び病院に電話。
「じゃあ、診ましょうか。すぐ来て下さい。もしかしたら入院になるかもしれません」
とのことだったので、タクシーを呼んで、待つ間にとりあえずの入院準備。
その間に、腹痛は間隔がなくなり、再びガボッと何かが出る感触。
これを境に、下腹部痛が楽になって来る。
20時半~21時頃、タクシーで病院に到着。
受け付けを済ませ、しばし待たされた後に処置を受ける。
処置後、医師の説明。
エコー上は子宮に何も残ってないので、完全流産でいいだろうということ。
しばらく出血があるが、生理と同じように、内部のモノを排出してるので心配いらないとのこと。生活も普段通りでOK。
ただ、細菌感染しやすい状態なので、風呂禁止。シャワーのみ許可。夫婦生活不可。
抗生物質と子宮収縮剤を5日分処方された。
また、今回の流産はおそらく卵子と精子の染色体アンマッチング―つまりは、受精卵の染色体異常が原因だろうとのこと。
あと、1回くらい流産疑いがあっても、それだけでは判断しないのがスタンダードらしい。何度か診察の上、あるいはこういう出血があって処置が済んでから流産と診察するそうな。
余談だが、説明を受けるまでに待たされた間に、カルテをのぞき見したら、予定日はバレンタインだったらしいw
医師に「排出されたものを見ますか?まあ、どれが何やらわからないでしょうけど…」と言われたが、私はレバー状の何かはナプキンについてたものは見てるし、多分胎芽もそこに含まれていたんだろうし、3回目の検診の時には胎芽はほぼなくなってたんで、あってもわからんだろうって感じだったのでやめといた。
旦那もそこまで興味はなかったようだ。
苦笑いで「やめときます」と答えると、「いやまあ、見たいと言う患者さんもいらっしゃるんで」と医師は答えた。
次回の診察の予約をして終了。
夜間の救急で、しかも土曜だったので、支払いができず、次回の診察の際に合算されることになった。
金額の目安を聞いたら、保険適用なので2000~3000円くらいだろうとのこと。
(この次の診察で明細みたら、保険利いても結局7000円くらいかかってた;そしてその時の診察代は210円…。何この差; ちなみにその次の最後の診察は尿検査もあったが保険利いて2000円強。210円、何か間違ってない??)
薬をもらって、23時半頃、タクシーで岐路に着く。
帰宅後、就寝。
こうして、私の妊娠は終了した。
7/29日…義両親への説明が突然だったのと、その時ある種パニくってたのとで、改めてきちんと説明したほうがよかろうと、義実家に電話。姑が出る。
その後、夕方頃、舅から別途旦那にメールがあった。
「嫁をよく看病してやりなさい」
と、何だか誤解があるような感じだったんで、改めて舅に電話。
夕方、ふと「ああ、もうご飯行けるんだな」と思い直して、再び舅に電話し、約束をとりつける。
このあたりの話はまた後述。
その後は、普通に日常生活を営む。
8月6日…流産後の診察。待たされるのはいいとしても、いつまでたってもモニタに自分の番号が表示されない。
一体どうなってるんだあー!と、こっちのほうで泣きそうになった(爆)
2時間くらい待たされて、夜間救急で担当してくれた医師が来て呼ばれた。
この日の外来担当ではなかった。
診察台の空きのスキを狙って診察。
説明も、本来の診察室ではなく、看護師詰所みたいなところへ行って座って待てという。
で、言われたとおりに行くと、看護師に止められて追い出されかける;
追い出される前に医師が来たので事なきを得たが。
経過は順調なので、風呂解禁。夫婦生活解禁。
次の子作りはいつ頃していいか?と訊くと、
「諸説あるんですが、3回…4回生理があってからが一番安全と言われてますね」
と言われる。
8月15日…最後の診察…なのに1日間違えて16日にいってしまった(爆)
当然、夜間診療してくれた先生はつかまらないので、別の先生で予約外診療としてとってもらう。
そしたら、途中で、3回目に診察してくれた医師が担当してくれることになったらしく、予約内容が変わった。
尿検査をして、呼ばれて診察。
経過問題なし。
前にした検査の結果も聞いたところ、子宮がんなし、性病なし、各種問題なし。ただ、風疹の値だけちょっと高くなってたと言われた。
この時に医師には、「次に作るのは3ヶ月後以降ね」と言われた;
…と、これで経緯の説明は終わりです。
ざっくりと言いながら、結構長くなりましたね;
まあ、私としては、これでもざっくりです。
ちょいちょい心情をからめてはいますが、ここに書いてない、経過に伴う心情の変化はほとんど書いてないです。
なので、次はそっちの方を書きたいと思います。
私、3月に結婚して5月に妊娠して7月に流産しました。
1行で済ますと、ぐっと重い話ですよね;;
ですが、私も旦那も、世間で思われてるほどにはネガティブに捉えておらず、むしろ勉強させてもらったとか、色々と得るものも多かった経験だと認識しています。
妊娠て、してみないと何も情報得に行かないじゃないですかー。
しかも、個々でそれぞれ違うものなので、してみないとほんと分からないことも山ほど。
今回は、そういったことを含めて、私が何をどう捉え、感じてきたのかをお話ししたいと思います。
まずは、5月から7月までの経緯からざっくりお話しましょう。
5月10日…最終月経
5月半ば頃…旦那が再就職。同時に私の仕事も繁忙期に入る。
5月末頃…胃腸風邪を旦那からもらい、常に吐き気が。
これにより、職場の短期パートのおばちゃんに、「妊娠したんじゃないの!?+(0゚・∀・) + +」とwktkされる;
…が、主治医にみてもらったところ、まぎれもなく風邪との診断。
6月初旬…26日周期の生理が来ない。が、まだ許容範囲(昨年末に28~29日で来たことがある…)のため、静観。短期パートのおばちゃんが、またしてもwktkするw
6月初旬~中旬…仕事の繁忙期終盤になっても生理が来ない。これはいよいよアレか!?ってことで、繁忙期が終わってから検査薬で確認することにする。
6月16日頃…生理予定日から2週間経ってからが確実、と説明書きにあるも、待てずに検査薬使用。ぱっちり陽性反応。
6月18日…私はアレルギーと喘息の持病があり、それだけですでに妊娠リスクがあるので、まず主治医に相談。(ちなみに高齢出産にもなるんで、リスクが2つ…)
即効、飲んでた薬が使用禁止になる。喘息の薬は吸入タイプのものに変更。そして抗アレルギー剤が使えないので、この日から全身のかゆみに悩まされることに…。
そして、病院を紹介してもらおうと思ったんだが、「どこにするか決めて来い」と言われる;
ぶっちゃけ、喘息リスクがあるとどこがいいのかわからんかったんだが、医療センター系がいいというアドバイスをもらい、帰ってからネットで調べて検討。
3次救急受入れしている病院がいい、まではわかったが、妊娠は全額自己負担の上、自由診療で病院によって金額の差があるので、交通の便も含めて、某国立医療センターと某大学病院に絞り込む。
ぶっちゃけ、費用に不安があったので、ちょっとでも安く済むだろう国立医療センターに決める。
6月21日…再び主治医を訪れ、国立医療センターへの紹介状をもらう。「某大学病院と迷ったんですけどー」と言ったら、「某大は他科との連携悪いんだよねー」と言われる;;
言ってよ…先に…。
6月22日…医療センター婦人科初診。胎嚢確認。正常妊娠。週数は教えてもらえず。
最終月経から数えると6週だが、排卵日のズレで週数が変わるそうなので、そのせいか?と思っていた。
診察料7000円…!!自費。
ここまでの間に、初たまやら妊すぐやらを読んでいて、「確認できたらすぐ母子手帳を取りに行きましょう」とあったので、診察後その足で母子手帳を貰いに行く。
…が、フライングだったもよう;;
母子手帳は心拍確認してからもらいに行くものだったようだ…。
とはいえ、結局はもらえた。
この頃からすでにつわりが。といっても、胃腸風邪から引き続きの吐き気だったので、つわりかどうかわからない(爆)風邪でなくても、普段から胃が弱くて寝起きに気持ち悪いとかはいつものことだったし。まあ、それくらい軽かった。動けなくなることもなかったし、ごはんがっつり食べれたしw
一瞬だけ、車酔いのような気持ち悪さがあったが、若干で終わった。
ただ、匂いに敏感になった。いわゆる炊き立てご飯の匂いはダメとかよく聞くが、それはなかった。大体は、もともと嫌いな肉の匂いとか、生ごみの臭いがキツかった。
あと、旦那以外の男性の臭いも辛かったなあ。
親がタバコを吸うんだが、タバコの臭いも日増しにダメになった。ので、家庭内喫煙所を設ける。(けど、玄関入ったとたんに分かるのよね…)
7月6日…二度目の検診。胎芽確認。「ちゃんと2週間分育ってますねー」と言われるが、心拍確認できず。週数教えてもらえず。子宮がん検査もする。
診察料9000円超。自費。
計算上、8週のはずで、例え排卵日がずれてたとしても、実は夫婦関係上1週間がせいぜいだった(このあたりは後述)。
この時から、私の中でもともとあった疑念が膨らんできた。
そして、次の検診までに、体調が変化し始める。(大体2回目の検診から1週間後くらいから)
つわりがないに等しい日が増える。
張っていた乳房の張りが弱くなる。
よく聞く「やたらと眠い」が全くない。むしろ徹夜OK(爆)
増加傾向だった体重がいきなり1.5kgも減った。
この頃、あまりに妊娠症状が軽いので、「ちゃんと育ってるのか!?」「存在感ない子だな!」と常々口にする。
ぶっちゃけ、どう考えても心拍が確認できるはずの時期にできてないので、このあたりから私は大分腹をくくっていた。
7月23日…3回目の検診。胎嚢は大きくなっているが、胎芽が全く確認できず。下の方にちょろっと見えてる「何か」がそれっぽい。
覚悟はしていたが、さすがに目の当たりにすると表情は固くなっていた。
医師から「1回のこれだけで流産と診断するのもアレなんでね。もう1回診てみてからにしましょう」と言われ、1週間後に予約。
この時、せっかくもらってきたんだから、と補助券を使って、尿検査と血液検査をする。
診察料は補助8000円分使って支払いは6000円くらい。がふぅ。
ちなみに、補助券に書かれた週数では11週だった。
診察後、病院の食堂で昼食。若干迷ったが、旦那もちょうど昼休み中なのでメールで報告する。
…すぐ電話かかってきた; が、席から動けなかったんで、2~3分で切る。
6月から、帰宅が22時頃になっていた旦那だが、さすがにこの日は20時に帰ってきた。
そして、色々な雑誌やらネットの情報やら見るに、これは稽留流産と思われた。
もしかしたら、入院して子宮内除去手術を受けることになるかもしれん、という問題が持ち上がった。
日帰りやら1泊やら、いろいろ情報があるので、どちらになるかはわからなかったが、そうなったら付き添いはどうしよう、という話に。
実母がいるが、実母は大分年食ってるので、どっちが付添かわからない状態になるので除外。
果して平日に入院となった時、旦那が来れるかどうか…土日にできないだろうか、と色々と悩む。
旦那はどうやら、会社側に「もしかしたら平日に休みをもらうかも」と打診していたようだ。
その後、何の体調変化もなく日々は過ぎた。
ちなみに、経過が経過なので、義両親にはまだ妊娠を知らせてなかった。
7月27日…夕方、舅から電話が入る。出張で上京するので、ご飯を食べないか、というお誘い。
翌週月・木なら大丈夫だというのだが、入院かもと思うと約束ができない。
なので、「旦那君が帰ってきて相談しないと、来週の予定がわからない」と言って一旦保留。
その夜、旦那が21時頃帰宅。その直後くらいに、生理が終わる直前くらいの出血を確認。
下腹部痛も始まった。
すでに、敗者復活も考えられないエコー映像だったので、進行流産ではないかと自己判断。
そうじゃなくても、数々の情報から、とかく安静にして寝てるしかないので、病院への連絡は翌朝にして、とりあえず寝る。
7月28日…早朝5時半頃、強い腹痛で目が覚める。が、じっとして耐えているうちに眠ってしまった(爆)
8時頃起床。腹痛は治まったが、一応病院に電話する。
「(治まったのなら)とにかく安静にして様子みててください。そのまま治まるようなら受診は予定通りで」とのことなので、何もしない宣言をしてだらだら過ごす。
昼過ぎ、下腹部痛があるので寝てたのだが、旦那に時々腰をさすってもらう。ポイントがハマると楽になる。が、そのポイントがちょいちょい移動する;
日中、旦那が舅にメール。事態が事態なのでまだ話せず、「忙しくて無理」と濁してごはんは断る。
夕方頃から、下腹部痛が激しくなってくる。4~5分に1回激しく痛み、数10秒~1分くらいで楽になる、の繰り返し。まるで陣痛。
出血も増えたので、再び病院に電話する。医師曰く
「今、来てもらっても、自宅同様ベッドで安静にしててもらうしかない。生理2日目くらいの大量出血したらすぐ連絡ください」
ということなので、様子見。
その後、旦那が舅に電話で流産を告げる。
20時ごろ、下腹部痛がピーク。2~3分間隔。出血も大量。何かカタマリもナプキンに付着している。なので、再び病院に電話。
「じゃあ、診ましょうか。すぐ来て下さい。もしかしたら入院になるかもしれません」
とのことだったので、タクシーを呼んで、待つ間にとりあえずの入院準備。
その間に、腹痛は間隔がなくなり、再びガボッと何かが出る感触。
これを境に、下腹部痛が楽になって来る。
20時半~21時頃、タクシーで病院に到着。
受け付けを済ませ、しばし待たされた後に処置を受ける。
処置後、医師の説明。
エコー上は子宮に何も残ってないので、完全流産でいいだろうということ。
しばらく出血があるが、生理と同じように、内部のモノを排出してるので心配いらないとのこと。生活も普段通りでOK。
ただ、細菌感染しやすい状態なので、風呂禁止。シャワーのみ許可。夫婦生活不可。
抗生物質と子宮収縮剤を5日分処方された。
また、今回の流産はおそらく卵子と精子の染色体アンマッチング―つまりは、受精卵の染色体異常が原因だろうとのこと。
あと、1回くらい流産疑いがあっても、それだけでは判断しないのがスタンダードらしい。何度か診察の上、あるいはこういう出血があって処置が済んでから流産と診察するそうな。
余談だが、説明を受けるまでに待たされた間に、カルテをのぞき見したら、予定日はバレンタインだったらしいw
医師に「排出されたものを見ますか?まあ、どれが何やらわからないでしょうけど…」と言われたが、私はレバー状の何かはナプキンについてたものは見てるし、多分胎芽もそこに含まれていたんだろうし、3回目の検診の時には胎芽はほぼなくなってたんで、あってもわからんだろうって感じだったのでやめといた。
旦那もそこまで興味はなかったようだ。
苦笑いで「やめときます」と答えると、「いやまあ、見たいと言う患者さんもいらっしゃるんで」と医師は答えた。
次回の診察の予約をして終了。
夜間の救急で、しかも土曜だったので、支払いができず、次回の診察の際に合算されることになった。
金額の目安を聞いたら、保険適用なので2000~3000円くらいだろうとのこと。
(この次の診察で明細みたら、保険利いても結局7000円くらいかかってた;そしてその時の診察代は210円…。何この差; ちなみにその次の最後の診察は尿検査もあったが保険利いて2000円強。210円、何か間違ってない??)
薬をもらって、23時半頃、タクシーで岐路に着く。
帰宅後、就寝。
こうして、私の妊娠は終了した。
7/29日…義両親への説明が突然だったのと、その時ある種パニくってたのとで、改めてきちんと説明したほうがよかろうと、義実家に電話。姑が出る。
その後、夕方頃、舅から別途旦那にメールがあった。
「嫁をよく看病してやりなさい」
と、何だか誤解があるような感じだったんで、改めて舅に電話。
夕方、ふと「ああ、もうご飯行けるんだな」と思い直して、再び舅に電話し、約束をとりつける。
このあたりの話はまた後述。
その後は、普通に日常生活を営む。
8月6日…流産後の診察。待たされるのはいいとしても、いつまでたってもモニタに自分の番号が表示されない。
一体どうなってるんだあー!と、こっちのほうで泣きそうになった(爆)
2時間くらい待たされて、夜間救急で担当してくれた医師が来て呼ばれた。
この日の外来担当ではなかった。
診察台の空きのスキを狙って診察。
説明も、本来の診察室ではなく、看護師詰所みたいなところへ行って座って待てという。
で、言われたとおりに行くと、看護師に止められて追い出されかける;
追い出される前に医師が来たので事なきを得たが。
経過は順調なので、風呂解禁。夫婦生活解禁。
次の子作りはいつ頃していいか?と訊くと、
「諸説あるんですが、3回…4回生理があってからが一番安全と言われてますね」
と言われる。
8月15日…最後の診察…なのに1日間違えて16日にいってしまった(爆)
当然、夜間診療してくれた先生はつかまらないので、別の先生で予約外診療としてとってもらう。
そしたら、途中で、3回目に診察してくれた医師が担当してくれることになったらしく、予約内容が変わった。
尿検査をして、呼ばれて診察。
経過問題なし。
前にした検査の結果も聞いたところ、子宮がんなし、性病なし、各種問題なし。ただ、風疹の値だけちょっと高くなってたと言われた。
この時に医師には、「次に作るのは3ヶ月後以降ね」と言われた;
…と、これで経緯の説明は終わりです。
ざっくりと言いながら、結構長くなりましたね;
まあ、私としては、これでもざっくりです。
ちょいちょい心情をからめてはいますが、ここに書いてない、経過に伴う心情の変化はほとんど書いてないです。
なので、次はそっちの方を書きたいと思います。
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